2675年度夏の鉄研長期旅行記 ゆう編

2016年8月25日木曜日

 お久しゅう。紫のゆうでございますわ。

書こう書こうと思いつつ一年近く放置してしまいました(笑)
後れ馳せながら去年度の夏の長期旅行記を記さんとぞ思いまする。
去年は夏休み終盤に一週間かけて九州に行って参りました。



旅は1つの遺跡から始まる。

九州には水戸岡デザインの派手な特急がたくさん。普通列車も同様で、デザイン的には全体的に「化粧の濃い」イメージ。私が旅行に行く前、時刻表を見たり車両図鑑を眺めたり撮影地を調べたりする過程で九州(の列車)に対して抱いたイメージはこういう風でした。
実際、九州の列車の大きな特徴として、外見も中身も派手で豪華な特急の多さが挙げられるでありましょう。九州らしさを感じるならかもめに乗るのが一番と言っても過言ではない、と乗ってみても思いましたわ。
然しながら私が旅行で撮った写真はというと、







そうした華やかなイメージとは程遠い、荘厳にして長閑な自然の中を走る気動車を目の当たりにしたのであります。JR九州は地域特有の自然とサービスの良い特急とを絶妙に組み合わせている、ということを改めて感じましたわ。「はやとの風」とか「或る列車」とかも、「あれって豪華に見えるけど実質はキハ40だからちょっとなあ」などと思っていましたが、キハ40であればこそ、コンテクストが断絶しない(けばけばしさを感じない)範囲での華やかな観光特急を演じられるということなのかもしれませぬ。
※上の写真に関して
(一枚目) 去年の「今年の一枚」、及び記念祭の展示写真としても出展させていただいた写真です。今年…じゃない、去年の鉄研旅行は全体的に天気が悪かったですが、この日は特に大変な豪雨で、遅延が発生し集合に大幅に遅れた人も多く居ました。これを撮影していた時も雷雨がひどく、気動車独特のゴー、というエンジン音が遠くから聞こえてきたと思ったら雷の音だった、ということもありました。いやはや、情けないですねぇ、鉄研部員ともあろう者が列車の音を聞き違えるなんて。
(二枚目) 山、川、メガネ橋、そこを走る気動車。ロケーションは素晴らしく、自分でもそれなりに満足している風景写真ですが、今にして思えば左手の川をもう少し良い感じに表現できなかったものか、と思います。まあ、今更言っても詮無き事ですね。
人生は時として川に喩えられることがありますね。わたくしが思うに、これには二つの重要な意味があるのです。第一に、人生は波瀾万丈であるということ。いつ何が起きるとも知れぬ人のいのちの有様は極めて川に似ております。流れが穏やかなところもございましょう。激しいところもございましょう。こうした自らの前に立つありのままの現実を受け入れ、それを自分のものとして捉えることの重要性、その有様は、まさに川のごとしでございます。第二に、それでも尚、自立した一本の筋を持っているということです。自分にとって本当に大事なものをしっかりと見つめ、それに向かって邁進することに集中する。その重要性に関しては、かの兼好法師も述べているところでございます。「日暮れ、塗遠し。吾が生既に蹉蛇たり。諸縁を放下すべき時なり。」(『徒然草』112段)という言葉は、決して消極的なものではなく、自分が本当にしなければならないことに集中するためには、あらゆるしがらみを打ち断たねばならず、さもなくば少しでも意味のある人生を営むことなどできようはずがない、ということなのだと思います。然るに川の如きこの人生に於けるや、重要なことは、自らに降りかかる様々な運命を静かにありのままに受け入れ、その上で自分のやるべきことを自覚し、それに集中することだと考えます。
(三枚目) 下(↓)の写真の逆アングルです。大分雰囲気違いますよね。




この写真は後藤寺線にて。工場と鉱山をバックに、「北九州」らしい写真が撮れる所です。
この写真を人に見せると必ずと言って良いほど出る反応が「ゆうさん四国行ったんすね!」といったものなのですが、甚だ遺憾であります。確かに車両は四国のキハに似ていますが、周りの風景、小規模だが未だ続く工業の香り、其の全てが異質のように思われます。
彼の有名なフランソワーズ・サガンは、其のインタビューで自らのペンシズムについて語る際に、彼女の描く人たちの心理的関係はどんな環境の人たちにも当てはまることだ、という文脈で、次のようなことを述べています。
ー「感情はどこでも同じです、環境が違っても変わりないのです。人間を深く掘り下げていく方が、常に発明発見を追い求めていく姿勢よりずっと人間を知るようになります。だから旅行というのは、観光に結びついた困難を乗り切る術を覚える以外に何のためにもならないのです。わたしは知らない景色を見たり、あるいは違った風習を発見しても、それに対して文学的な反応を示すことはありません。」(「愛と同じくらい孤独」より)
私はサガンの著作で共感できる部分は少ないです。それはこの一節に於いても同様です。
人と人との関係、感情、それは何処か違うところに行ったからと言ってそう簡単に変わるものではないでしょう。人が他人に対して嫉妬することはパリのインテリであろうとジロンド地方の農夫であろうと変わりはないでしょう。然し、だからといって旅をする意味は旅行術を学ぶ以外に何もない、というとそれはまた違うような気がします。そもそも感情が環境に左右されないなんてありえるのか。違った場所に来て、日常の煩雑さから逃れることにより、諸事から解き放たれた自らの素直な内面、「本当にやりたいこと」を自覚すること。こうしたことは旅をする意味にはなり得ないのか。…よく分かりませぬ。彼女の文脈には恐らく沿わぬことでしょうし。
そうはいっても、旅をして、自分が知っているものと異なったものに触れるというのはとても意味のあることだと思います。多分ね。






それはそうと、こちら大村線、ハウステンボスをバックに。
(甲)因みに、今回の旅行の「晴れカット」は先程の写真とこの写真の2枚くらいしかないです。今年もまた天気には嫌われ、本当に雨男でも来ているのではないかと勘繰った次第でございます。私はまだマシな方で、他の部員(撮り鉄)の中には晴れたら良い具合になるが曇ると車両が映えない撮影地で悉く雨が降り、晴れると逆光になる撮影地で悉く晴れるという、可哀想な人もいました。
(乙)尚、この日は国鉄急行色は長崎で呑気にお昼寝する運用だった模様。そりゃ待っても待っても来ねェわけです。この写真を人に見せると「大村線かぁ…。あそこは塗装が残念だから撮意(さつい)芽生えないなぁ…」といった感じの反応が得られるのですが、どうでしょう。真っ青なボディに白で大きく文字を書く…確かにちょっとけばけばしいですね。人によってはたまらないのかもしれませんが。


「九州らしい」など全く其れ自体ステレオタイプも甚だしい浅はかなものですが、特定の空間の中で何らか感じることに重きを置き、「九州の気動車」というものにたくさん触れたのであります。実際旅行行った中で特に印象的だったのはこうした気動車であります。皆が貨物撮ってるときも気動車撮ってました。まあ、乗車中はちまちまと研究の調査をしておりましたがね(ドヤ顔


さて、私が旅行で手に入れたことで言葉に出来るものなどもう殆どないので、ここから先はダイジェスト的に写真を適当に貼ってゆくことに致しましょう。






くまもん。



後輩のtoq9001f君と一緒に熊本城に登りました。そのあと彼についていってラーメン屋に行きました。東京にも進出しているラーメン屋なのですが、本場で食べるとやはり味が違うもの。生臭さや凝りも少し感じましたが、ラーメンとしての風格が足りていて美味しかったですわ。ありがとねtoq9001f。




こちらは熊本城をバックに。
直ぐ乗れて、そこそこ本数もあり、目的地にダイレクトに行ける路面電車。地方都市における其の役割は独特なものがあります。




西鉄「」駅は駅舎の駅名表記が、構内に「」の文字ありと、信心が足りています。
そういえばと名の付く駅の半分は九州に位置するんですね。シラナカッタナー






北九州のトロッコでございます。
「潮風号」だなんて涼しそうな名前…ですが、雰囲気的に潮風香る感じではないですね。一応海岸線から100m以内らしいっすよ、ココ。(投げやり)
場所としては鉄道記念館のすぐ傍です。固より記念館行くついでに撮ったまでです。
…記念館行く前には一悶着ありましたねぇ…(遠い目)。ここでの詳細な言及は避けますが、一つ申し上げるとするならば「忘れ物には気を付けましょう」といったところですかね、ええ。
記念館の中にはいろいろ面白いものがありました。EF10(↓コレ)かっこいい!とはしゃいだり、581の寝台で寝たり、メトさんがジオラマの展示をタイムラプスで撮ってるのを横目にうとうとしたり、写真や行き先幕を眺めたり…。



まあ、色々です。色々。





SI14、toq9001fその他数名と一緒に「A列車で行こう」を撮影致しました。trainを電車と訳すは必ずしも正しくないということをよく表している気動車だと思います。
trainの元義は「引きずられるもの」といったような意味でございます。しばしば「電車」と訳されますが、電気で動くわけではない気動車や汽車も-むしろ汽車の方が時代の中で先でございます-当然trainであります。然しながら1両の電車はtrainとは呼びませぬ。通常carriageでございます。そういう意味で、trainは「列車」と訳すのが妥当と考えるのであります。現に"A-TRAIN"は2両の気動車でございましょう?
この日は本来はSLを撮りに行こうかと思っていたのですが、土砂災害の影響で肥薩線の一部区間が運休となってしまいました。時期的に仕方ないことなのですが、今回の旅行では(も?)様々な災害に見舞われました。
尤も、我々は結局のところ外側からしか其の被害を見ることが出来ないある種お気楽な「旅行者」に過ぎず…件の地震についても同様でありますが、真に被害を被った現地の皆様に思いを馳せずにはいられませぬ(私たちが被る被害と言えばせいぜい漫画雑誌の発売日が全国共通で遅れるといった程度…その傲慢さには呆れ返るほどでございます)。




それはそれとして、気動車特急繫がりでもう一枚。此方はゆふでございます。ゆふいんの森の方が有名で、少々陰に隠れがちな印象を受けなくはないですが、これはこれで味のある特急なのだそうです。私は乗りませんでしたが…。





メトさん「新交通システムの面縦がこんなにつまらないとは思わなかった()」
今回の旅行では中二以上は基本的に大阪の港(何処だっけ…)からフェリーで九州に足を踏み入れました。それゆえ多くの部員が上のポートタウン線でフェリーターミナルへ向かいました。折角なので、ということで大阪の辺りをうろちょろしていた部員も少なくなかったようでございます。
船では非常にリラックスして過ごせました。船内でウノをしたり、甲板から夜景を見たり。
夜景について、目玉はやっぱり橋ですわね。特に、瀬戸大橋を見たときには丁度マリンライナーが見えたゆえ、鉄研部員的には興奮するところとなりました。さにあらずとも夜の海は独特の魅力がございます。先人が衝動的に飛び込みたくなるのも理解できるというものでございますわ。
そういえば、今年の鉄研旅行は四国に行くらしいですね(他人事っぽく)。
残念でしたことは、
SI14「微かに夕日を浴びて出航って普通なら情緒的な筈だけど、見ゆる景色が汚染された海だと何かこう…なえるよね」
まあ、そうね。






元銀座線の車両がかく長閑な所を走るというアンバランスさがある意味かわいいですわ。
尚青蛙は運用に入っていなかった模様。
これについて、青蛙を狙って熊電に来たという部員に意見を伺ったところ、次のような返答が得られた。
「誠に遺憾である。青蛙無しの熊電はアルコール無しの花見のようだ。部員の飢えを打開するべく、解決策を前向きに検討するべきだ」
「クーラーが無い車両にこの暑い中乗客を押し込むなど、それこそ現代社会にあるまじき由々しき問題だから、まあいいんじゃないかな」
賛否両論あるが、たいそう残念なことであったというのは共通見解のようだ。
※一部脚色あり






旅は一人で行くのが良いです。人と一緒に行くと自然に対する純粋な感動が半減します。如何に「綺麗だね」「趣があるね」など語っても、やはり自分のペースで感じなければ、自然を見たとは言えないのです。

然しながら、では他人と一緒に旅に行くのは悪いことかといえば、そうではありません。自然に対する感動が減るとは言っても、やはり旅の中で独特の雰囲気が生まれるようで、旅の中で何気なく口にした一言というのは独特の趣を持ったものとして普段よりも心に沁みたり、二人旅だと何となく優しい気分になったりすることもあるのです。これもまた旅の感性であります。
旅をすることで得ることはたくさんあります。写真技術が上達したり、後輩を導くことの難しさを知ったり、研究の調査をしたり、お土産を買ったり…かかる目に見えるものに限らず、実際に旅に行くことでしか得られないもの(旅行術、とか対応力、とか…よく言われますわよね)がたくさんありますが…しかし一番大事なのは、こうした「旅の感性」を大事にすることだと思います。
蜻蛉日記からも読み取れるように、如何につらいときであっても(=傷を背負っていても)、旅をして、自ら現地に足を運び、自分のペースで感じたものは紛れもなく本物なのです。
然るに、鉄研旅行というものは部員たちと一緒に色んなところに行って其の時其の場所でしか感じられないさまざまなことに出会える素晴らしい機会だと思います。
かかる場あることに感謝し、また運営役として極めて大変な役目を負った旅行主任&三役の皆は本当にお疲れさま。
私が部員として参加する長期旅行はこれが最後となります。参加しないとは言ってません
脱線も多く含みつつ、だらだらと書き連ねてまいりましたが、これにて 夏の長期旅行記、完 とさせていただきます。お読みいただきありがとうございます。









・おまけ
ああ全く堅苦しいのは苦手だわ。しかも暑いし…
そんなわけで九州とは縁もゆかりもない北の国の冬の写真で涼んでくださいまし。
3月に北海道に行った時の写真でございます。


















・二伸
もう何か月も前のこととなりますが、4月30日・5月1日の記念祭、ご来場頂き誠に有難うございました。恐らく私の鉄研在籍中最多の入場者数、感激の一言でございます。私自身は風邪を引いてしまって一日しか前に立って働くことができませんでしたが、部員としての「締め」として非常に素晴らしいものであったと感じております。今後もOBとして鉄研に関与することはある(人これを老害という)と思いますが、今回の記念祭を以て我々高2はひとまず引退ということになります。皆様ありがとうございました。







・二伸の二(レベッカ・デュー風に言えばやりきれない)
ああ、そうそう、私がブログを始めてから引退するまでの旅行の記事はこれで全部ということなので、私最早これ以上ブログで恥を曝すつもりはございません。
ブログ読者のみなさま、部員の皆さん、拙い文章ばかりでしたが、今まで読んでいただきありがとうございました。今後ももし機会があればまた投稿するかもしれませんが、とりあえずこれでお別れといたします。

ありがとうございました。
平成28年8月 紫のゆう

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