このページでは、武蔵における鉄研の歴史を紹介します。
残念ながら、現在からではほとんど詳細がわからない時期も多く、資料も充実しているとはいえません。
しかしながら、今後の鉄研のため、できうる限りのことをまとめておきたいと思います。
※OBの方々による情報提供をいただければ幸いです。

前鉄研の時代

 2010年度の部室整理によって発見された資料から、鉄道研究部が創始される以前、1940年代後半の時期に、最低でも六、七人程度の部員を擁した「鉄道模型同好会」が存在したことがわかっています。当時の活動日記を後に活字化、冊子としたとおもわれる当該資料によれば、当時の「鉄道模型同好会」では、HOゲージあるいはOゲージ級の鉄道模型を作製、車両、レール、ひいてはポイントまでも部員による自作であったことが窺えます。
 もちろん、まだ製品としての鉄道模型が殆ど無かった当時のこと、自作以外の手立てがなかったというのも確かですが、現在の鉄研からしてみればにわかには信じがたい、想像もつかないことといっていいでしょう。
 また、気軽に車両基地見学などが出来た当時のこと、国鉄池袋電車区の見学なども行っていたようです。
 この「鉄道模型同好会」がいつ頃存在しなくなったのかは判りませんが、当該資料を除き、その存在を立証するものは鉄研には残っていません。

黎明の時代

 鉄道研究部が「鉄道研究会」として発足したのは、1960年代の前半頃であったと考えられています。これに関しては、38期の武蔵OBの方より、創立メンバーの一人であったという証言を頂いています。
(尚、2013年度の卒業生が88期にあたります。)
 果たして創立当時、どのような形態で活動が行われていたのか、今となっては定かではありません。しかしながら、2012年現在でほぼ半世紀の歴史を持つことは確かであるようです。

発展の時代

 鉄道研究部に残されているアルバムを見ると、1980年代~90年代頃にかけての部活あるいは旅行の写真があるのがわかります。
 当時、おそらくは鉄道研究会から鉄道研究同好会へと昇格を遂げていた鉄研は、現在の部室の隣にある将棋部の部室に同居していたようです。その頃、現在の部室クラブハウス時代の旧部室の位置には報道班が入っており、2010年頃まで報道班宛の色紙が壁の上部に貼られていました。
 この頃、既に鉄研ではNゲージ鉄道模型が主流となっていましたが、アルバム写真、残されていた物品などから推察するに、現在のKATOレールではなくTOMIXのレールをレイアウトに使用していたようです。レイアウト自体もモジュール製作が無く、、大きなボードに作られていました。
 鉄研旅行は少なくとも80年代には行われていたと考えられます。アルバムから確認できる限りでは、現在よりも団体行動が多く、多人数で長時間の撮影を行ったりしていたようです。
(余談ながら、当時のアルバムの写真には、2012年現在ではもはや定年寸前のベテラン教師の若いころの姿が写っていたりと、武蔵そのものの記録としても地味に貴重です。当時の記念祭では現在と違い、鉄研は中1Bを使用していたように見えます。)
 その後、鉄道研究同好会は晴れて鉄道研究部へと昇格を果たし、将棋部から分離して独自の領土たる鉄研部室(=クラブハウスの旧部室)を手に入れました。

危機の時代

 2000年代前半~半ば頃の鉄研は、部員の人数減が深刻になっていました。時には新入生が一人も居ない年すらあり、同じ学年の部員が二年連続で部長を務めることもありました。
(なぜかは判りませんが、同期内での部長交代はしていたようです)
 しかし、人数が少なかったからか、部内の連携が強かったことも事実であるようです。鉄道模型では既にモジュールが導入され、KATOレールが使用されています。
(都営12号線の部分開通と、12号線で新江古田の隣にあたる落合南長崎にホビーセンターカトーが出来たことも遠因なのかもしれません)
また、このHPが設置されたのもこの時代の末期に当たる2006年頃です。
 2006年にはOBの協力を得て「夢空間」による貸切列車を運行するなど、人数が少ない身軽さ故か、ちょっと特別なことにチャレンジしていた時期でもありました。
 この時期の部員のたゆまぬ努力により、予算はじめ活動の基盤が整備されたことが、現在の鉄道研究部繁栄の礎を作ったといえるでしょう。
 ちなみに、この頃はフィルムカメラの末期ごろにあたり、個人撮影のフィルム写真を理科棟旧理科棟(現在解体)の現像室で現像するといったこともしていました。しかしながら、この後フィルムカメラを持つ部員が殆ど居なくなったことや、理科棟旧理科棟(現在解体)の現像室そのものが倉庫として使用不可能になったこともあり、2009年度を以って行われなくなってしまいました。

拡大の時代

 2007年ごろから、ふたたび部の拡大の兆しが見えてきました。モジュールレイアウトの内部にボード(600mm×1800mm)による引き上げ線を作った
2008年の記念祭Nゲージレイアウトをその嚆矢とし、当時の模型主任の主導により、2008年度からはボードをNゲージに本格的に再導入。それまでの部員各自でのモジュール製作から、部全体でのレイアウト建設にシフトしてゆきました。
第一芸術教室を利用して、広い場所で活動を行うようになったのもこの頃からでした。

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左は当時製作されていた山ボードの様子。

トンネルや築堤を取り混ぜ、三枚で一セットとなる巨大なボードだった。

右は2009年の記念祭時の山ボード付近。

広いボードを幾枚も利用したことで、街並みや列車の並ぶ車庫など、

広がりのある景観を創造することが可能となった。


 上の写真でもわかるように、2008年度製作レイアウトではモジュールと接続する方式を採用。従来の単純な四角形ではなく、全体的に見てL字型のレイアウトとなっていました。
 拡張されたのは単純に線路の長さだけではありませんでした。
今までにない画期的な運行システムとして、DCC(Digital Command Control)を導入。専用のコントローラからDCC対応改造した車両を各個操作することで、従来不可能であった、一路線における複数列車の個別操作を可能としたシステムでした。
高価なシステムではありましたが、数年前に大幅増に成功した部予算の助けもあり、2009年の記念祭では列車の待避追い抜きや続行運転など、複雑な運転で来場客を魅了しました。
 この形式のレイアウト展開は翌年も採用され、折り返しの私鉄線や支線を使用した特殊な列車運行形態、吊り橋や立体的な駅など、レイアウトは更なる拡張を遂げました。このころ購入された膨大なレールは、現在の鉄研レイアウトの根幹を担っています。
 懸案であった部員の減少に関しても、記念祭での鉄研展示の多彩化もあってか2008年ごろから回復を見せ、2009年の新入生は7人と、かつて無い規模での部員増となりました。2010年春には高松琴平電気鉄道において貸切列車を運転しました。


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琴電で行われた旧式電車による貸切列車。

この時製作したヘッドマークは現在も部室に保管されている。


 しかしながら、レイアウトの拡張にともなって、新たな問題も数多く発生してゆきました。作業時間と人手の不足による作り込みの甘さ、記念祭前日準備での完成の遅延、
部室の手狭さの露呈といった模型製作での問題。あるいは新たな部活の形態に対し旧態依然とした部運営体制、急速な部員増に伴う部内の連携の不足。
 これら物質的に急速な拡張を見た鉄研が直面した問題は2010年度以降の新体制において解決せねばならない問題となったのでした。

改革の時代

 レールやボードといった、鉄研におけるいわば物量的な膨張は2009年度までにひとまず終わり、2010年度からは部の運営面、あるいは模型車両や工具など補助的な面での強化が主眼となりました。
 部員全員による会合である「部会」の開催や、部活の拡張に伴う業務の分担といった幾らかの改革が行われ、約20名を数えるまで成長した部の内政面を強化しました。
 あまりにも手狭であった部室クラブハウス時代の旧部室でも、古いロッカーや棚の廃棄や壁の塗り直し、一過的なものではありましたがカーペットの導入、鉄道雑誌類の整理など、
大規模なリニューアルが試みられました。鉄研ブログが「武蔵高中鉄道研究部OffcialSite」として改革されたのもこの一環です。
※武蔵高中鉄道研究部OffcialSite(livedoorブログ)は幾多の移転と消滅を経て公式際に統合されています。


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2011年2月頃の鉄研部室。カーペットが導入されている。

2012年現在も、部室内の主要な配置は当時を踏襲している。


 模型製作においても、記念祭時の体験運転の混雑緩和、および限りある教室容量の有効活用などを考え、Nゲージレイアウトからついにモジュールを完全に分離。残ったボードレイアウト自体も、路線数を増やし地形的な複雑さを増すなど、それまでと比べ大幅に方針を転換しました。ボードとモジュールの分離方式は、これ以降の標準となります。


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2011年6月、第91回記念祭におけるボードレイアウト。

モジュールが分離されており、また路線数も4本になっているのがわかる。


 2011年3月11日の東日本大震災にも、鉄研は大きな影響を受けました。地震当時鉄研は活動していませんでしたが、狭く複雑に収納が積み上がった状態にある鉄研部室、引いては記念祭に向け製作中の模型への被害が心配されました。鉄研部室のある文化部棟は校内でも古い建物ということもあって、特に高所にあるモジュール収納を中心に崩壊が危惧されていましたが、幸い幾つか箱が落ちた程度で、奇跡的なまでに無事にすみました。
 しかし更に問題になったのは「記念祭の中止」でした。記念祭が中止となれば、一年の努力は水泡に帰してしまいます。しかしこちらも6月に延期開催されることが決定し、無事成果を発表することができました。
 その後、記念祭の延期で一月半遅れで始まった鉄研2011年度では、前年の改革を引き継ぎつつも部内の情勢に合わせて是正を試み、各主任職の業務の明確化や副部長職の設置など、更なる負担の分散を企図。
 模型製作では前年使用できなかったDCCを復活させ、更に複雑なレイアウトプランに。ボードの広い空間を最大限に活用することを目標として組み上げた結果、築堤とトンネルが主だったそれまでと違い、高架を多用し立体交差の目立つ風景となりました。


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高架線が複雑に立体交差しているレイアウトだった2012年記念祭。

上下方向の移動も大きく、かつて無いほど入り組んでいた。


記念祭での発表時は模型だけでなく室内装飾の強化も行われ、部員個人が撮影した中から選りすぐった写真の展示、鉄研所蔵の古い列車ポスターの公開、室内スピーカー設備を使ってBGMを流すなど、雰囲気を盛り上げる試みが多くなされました。
 この年は、モジュール面でも各モジュールを担当する部員の工夫が光り、一人ひとりによるバスのペーパークラフトの量産なども含め、部員個人の自主的かつ意欲的な試みが多く見られる記念祭でした。
 2008年度からの四年間の鉄道研究部は、物量・体制において大きく変化し、
部員の数も三倍近くに増えるなど、鉄研史上類を見ない激動期にありました。

現代

2000年代末からの激動期を越えた2012年度現在、鉄研部員は中1含め30名にも達し、各学年とも五名以上の部員を擁する規模となりました。


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部員一同を集めて行われている部会。

活動の中心は完全に芸術教室にシフトした。


夏に行われた北陸旅行では遂に参加者が26名を数え、かつて2008年度夏の九州旅行で過去最多と言われた13名の倍に。
 部活時の模型製作で人手不足にあえぐこともなくなり、棚の購入で懸案であった雑誌類の収納場所も確保。2013年、第91回記念祭に向け、順調に活動を続けています。
 鉄道研究部の活動が今後どのように展開するか、それは彼ら次第。どうなるか判らぬところもありますが、応援いただければ幸いです。

2012年〜2021年

 元々このページは上記の「応援いただければ幸いです。」で終わっていました。ここからは2023年に加筆した部分になります。
 この鉄研の歴史に関するページは2012年にKeisei.C氏が執筆された後、2016年に鉄研公式サイトGeocitiesからGitHubPagesへ移転しGeocitiesもサービス終了。その後GitHubPagesからNetlifyへの再移転を経て2021年頃に鉄研公式サイトは消滅しました。その過程でlivedoorブログも廃止されています。
 2023年、広報主任になった未成線Kは鉄研公式サイトを復活させることに決めました。しかし公式サイトがあった頃の広報主任と連絡が取れず、公式サイトについて知っている方もいらっしゃらなかったためWaybackMachineというアーカイブサイトを利用して独自で旧サイトについて調べ、2016年のGeocities時代の公式サイトを発見しました。本ページはそのサイト内にあった歴史に関するページをコピーしたものです。
 そのため2012年以降の鉄研の実態は存じ上げませんが、私は入部した2021年以降の鉄研について簡単にまとめます。

2021年以降の鉄研

 鉄道研究部は旧クラブハウスの解体により新たに建設された理科・特別教室棟の2階に部室を移転し、同棟1階の芸術教室2を使用して活動をしています。
 現在の活動内容は通常の活動でNゲージの大ボードとモジュール、そしてHOゲージのボードを制作し、それ以外に日帰りで関東を巡る短期旅行が年に2回、三泊四日(2022年)の長期旅行が年に1回行われています。もちろん記念祭もあります。
 新型コロナ(COVID-19)の流行により長期旅行は一旦無くなり、2022年の復活時には顧問の負担軽減のため以下の変更が行われました。
  • 年に2回→年に1回
  • 6泊7日→3泊4日
  • ホテルは日にちごとに別→毎日同じホテル
 2023年は4泊5日になるようです。行動の自由度が減ったのは残念ですが時代による変化には抗えません。今ある楽しみを満喫することが大切でしょう。また短期旅行は部員内での撮り鉄の減少により撮影旅行から乗車旅行に変化しました。全員での記念撮影も廃止されています。
 Nゲージ大ボードのレイアウトに関しては先述の2009年のようなことはされなくなり、2021年はシンプルな円形レイアウトが5線、2022年は4線となりました。全線を体験運転に使用している関係上通電を良くしなければならず、円形にする上で不要なポイントとカーブレール、立体交差は一切用いないようになりました。2022年度の部長によると本部活はストラクチャー重視という伝統も存在しているようです。
 2022年は試験的にモジュールと大ボードが接続されましたが2023年は21年同様別々に戻ります。いつの間にかDCCは使用されなくなり、復活へ向けて23年のモジュール主任が取り組んでいる所です。
 雑誌の購読についても大幅に整理され、古い雑誌や現在購読していない雑誌は部員が家へ持ち帰りました。2022年には部室のレイアウトが大幅に変更され、旧部室にあったらしい木材を使った棚が現部室にも設置さえました。2023年には東武634型を使用した貸切列車がOBも交えて運転されたり車両基地見学も行われ、コロナ以前の活気を取り戻しつつあります。
 ここ10年間でもかなりの変化を遂げた鉄研ですが今後はどうなるのでしょうか。2023年記念祭では武蔵グランプリ1位を獲得した鉄道研究部、今後の発展にもぜひご期待ください。

2012年10月18日 文責 Keisei.C
2024年 加筆修正 23年度広報主任 未成線K